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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

創作秘話 「花時雨西行」「紫しだれ桜」「堀河の局」

まず上げなくてはならない作品は前にも書いているが、坂口安吾と安部公房だろう。無論、三島由紀夫には大きな影響を受けた。
 其のかれらについてはここで書かないことにする。
 それ以降では辻邦生、私が西行法師を書くときに参考書として読み砕いた。「西行花伝」彼らしい緻密な文体で、彼が調べつくしたものを流れる様に書き連ねていた。平安末期の時代背景は見事にそれを読むと手の中に入ってきた。西行の出自を始め自領の紀伊の国の北の荘での生活の様から妻子の愛情を克明に書き、その平和をなげうっての出家と言う突然の出来事があまりにも理不尽として読むものを悩ましたのは待賢門院の存在であった事を説明していた。
 鳥羽帝の北面の武士、仲間には平清盛などがいた、清盛とは嵯峨野への競い馬をよくしていた。待賢門院の局である百人一首に出てくる堀河の、歌人の仲間たち、高野での仏道修行、密教の荒行など、吉野の桜を配して書きすすめられていた。これらを元に熟慮して「紫しだれ桜」「花時雨西行」を一人芝居として公演、朗読劇と上演した。
 後に滝口入道を書く時にも大いに役に立った。横笛を吉野のふもとにある天野の里で待つ女として書きこむことが出来た「天野の里の露」として一幕物として書いた。
 また文覚を書いている時に北面の武士、遠藤盛遠も理解できたという事です。流刑にあい、また、鎌倉に都合のいい立ち回りも彼の人生の一こまの一つとして、隠岐の島での死まで、なくなるまでの物語を書けた。これは「不覚文覚荒法師」として一人芝居として書き公演した。
 それらは辻邦生の「西行花伝」を読んでいなかったら書けなかったであろうと思う。また、西行については白州正子の本を数冊読んだ、西行の歌を理解できたのはこの人のお陰で会った。
もともと西行を書くつもりはなかった。通きせぬ興味は、藤原璋子様、中宮璋子様、それから待賢門院様へ、の女性の生き方を平安の末期に求めてみたかったという事だったのです。白河法皇に幼い頃より寵愛され鳥羽帝に腰入れ、其の帰趨な運命になかで女性としてどのように生きたのか、生かされたのかを書きたかったのです。そこに、西行が、堀河の局が絡んできたのです。
そこで出会ったのが辻邦生の「西行花伝」であったのです。雲が晴れるように一気に書き上げることが出来たのです。其の間、西行の書かれたものはずいぶんと読みこんでいました。
一夜の待賢門院とのちぎり、それが西行の生き方をがらりと捨てて、妻子を捨て、地位も捨てる生き方に変わったのです。
また、かれの「銀杏散りやまず」では人のルーツを探す困難と辛抱を教えられました。尋常な書き手ではない事を認識しました。そこで、先祖は今生きている人の行いと顔にあると知らされました。辻邦生の作品は沢山買い求めて読みましたが、心に残っているのは二つになっています。
巡りあわなかったら西行も待賢門院も堀河も滝口入道も文覚も書けていなかったと言えます。また、江戸の末期の良寛禅師も書けなかったと言えます。良寛を書く時に常に西行ならどうすると言う自問の中で書きすすめていました。俗世の西行と、清廉な良寛、其の違いはあるけれど非常に心は近かったと思い書きました。
辻邦生がいなかったら書けていない、かれは私を導き書かせてくれたものと思っています。
心に残る書のひとつはかれの手による「西行花伝」、辻邦生なのです…。



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